前回、ここでも書きましたが今回はその続きです。日中韓の外交カード色が強い靖国問題ですがそもそもの発端はA級戦犯合祀でした。今回はこのA級戦犯合祀のいきさつについてちょっと調べて見ました。
1966年 厚生省管轄の引揚援護局がA級戦犯14名の合祀を行うよう靖国神社に祭神票を送りました。そのときの中心人物は青木一男氏 祭神票を受け取った当時の靖国神社宮司(筑波藤麻)はなかなか合祀を行いませんでした。このことに関して青木一男は脅迫まがいで強く合祀を促しましたが「ご方針に従う。時期は慎重に考慮したい」と答え合祀を行いませんでした。これは昭和天皇の心中を察しての行動で昭和天皇は合祀に反対だったと思われます。しかし立場上明言できない事情があったのでしょう。皇室に近かった筑波藤麻宮司はその事を感じていたのではないか と言われています。A級戦犯の祭神票は合祀されないまま靖国神社の宮司預かりとなって数年を経て事態は動きます。昭和53年3月20日、筑波宮司が急逝 73歳でした。この時の詳細はインターネットで調べて見ましたが見つかりませんでした。急逝という言葉を使っているということは急逝だったんでしょう。次の靖国神社宮司は松平永芳氏で元帝国軍人終戦後は自衛隊に入り定年退職をした方でした。松平宮司は就任後まもなくA級戦犯14名の合祀を行いました。昭和天皇はA級戦犯合祀以来一度も靖国神社に参拝をすることはありませんでした。国際情勢を配慮してというのは表向きでA級戦犯合祀は反対だったという無言の抗議だったのかもしれません。もしA級戦犯合祀は反対とはっきり明言していれば今日の禍根は無かったのかもしれません。
A級戦犯合祀賛成派についてはいろいろな考え方があります。
東京裁判否定派
サンフランシスコ平和条約前の戦闘状態で行われた東京裁判は軍事裁判であり、違法である よってA級戦犯とはスケーブゴートであって犯罪人ではない
東京裁判肯定派
A級戦犯を含むすべての戦犯は、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき 関係 11ヶ国の同意を得て免責されています。また国内法でもすべての戦犯は すでに復権しています。罪を認め刑を終えた者はもはや犯罪者では無いという刑法の原則に則った考え
戦死者扱い
サンフランシスコ講和条締結をもって終戦である。したがってサンフランシスコ講和条前に行われた東京裁判は戦争状態で行われた裁判でありそこで有罪となったA級戦犯は戦死者と同じである
等々 靖国参拝賛成派はどの考えに立脚しているんでしょう 気になる所ではありますね〜
参考資料
http://deadletter.hmc5.com/blog/archives/000090.html
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html
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