アメリカの大統領選挙が終わってなんだか世界情勢も一休みに入ったような感じでいまいち盛り上がりに欠けますね〜(不謹慎モード全快)
ということでネタもないようなのでちょっと世界情勢おさらいシリーズ第1弾としてパレスチナ問題についてちょっとおさらいしみましょう
イスラエルとパレスチナは中東の火種として一世紀に渡り常に世界情勢の花形でした。そもそもなぜこうなったのでしょうか? ことの発端はローマ帝国時代までさかのぼります。
エルサレムを含むパレスチナ地方にはもともとユダヤ人が住んでおりましたがローマ帝国の侵略によって国を追われてしまいます。その後、ローマ帝国が滅びオスマントルコ帝国がこの地域を支配するようになりました。この時代、アラブ人もユダヤ人も共にオスマントルコに支配される側だったのでことさら対立もなく普通に暮らしておりました。そんなところに第一次大戦が勃発しました。
イギリスはアラブ人に『オスマントルコに対して反乱を起こせばその見返りにアラブ人の独立を承認してあげるよ〜』との約束を取り付けていた。(フサイン・マクマホン協定)
でイギリスを信じたアラブ人はトルコに対する反乱に立ち上がりました。この事件は映画『アラビアのロレンス』として世界中の人々が知っていますね。
第一次大戦が終結しオスマントルコが滅びると、ヨーロッパの列強が中東を植民地化して、支配するようになります。レバノンとシリアはフランス領でパレスチナはイギリス領でした。イギリスはフランスの影響力を抑える目的とアラブ人に約束しちゃった手前から、ヨルダンを建国しパレスチナアラブ人の国としました。そのことは中東への支配力でフランスに負けたくなかったイギリスの利害とも一致します。
ところがイギリスは第一次大戦中にユダヤ人に対して『追い出されたかつての故郷パレスチナにユダヤ人国家を建設しちゃるけん協力ばしちゃらんね』と約束をしておりました。(バルフォア宣言)
よーするにダブルブッキングだったのですね。イギリスはアラブとの約束を先に守ったわけで当然ユダヤ人が面白くありません。
第二次大戦でヒトラが台頭してくると有名なユダヤ人弾圧が始まります。これを避けるためにヨーロッパ中のユダヤ人が大挙してパレスチナに移民してきました。そしてお金持ちなユダヤ人はその財力に物を言わせてかたっぱしからアラブ人より土地を買いあさりました。このことが軋轢となって次第にユダヤ人とアラブ人の間に小競り合いが起き、第二次大戦終結後はさらに顕著になりパレスチナでは双方の武装組織による内戦状態にまで発展しました。ユダヤ人の矛先はアラブ人だけじゃなく 約束を守らないイギリスにも向けられ、国連より委任統治を受けていたイギリスはとうとう匙を投げてしまいました。
国連はここにきてようやくイギリスの約束を守る為にユダヤ人国家『イスラエル』を建国したわけです。
ところがアラブ人はたまったもんじゃないですね 今度はアラブ諸国を見方につけてパレスチナアラブ人が周辺アラブ諸国と共にイスラエルに武力侵攻しました。(第一次中東戦争) で ここからはもう憎しみの連鎖で 第一次中東戦争から第6次中東戦争を経て今日まで絶え間なく火種を抱えてきました。
こうして見ると一番悪いのはユダヤ人でもアラブ人でもないのは明らかですね。
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