以前ここにあった書き込みですが その後議論が展開されず 書き逃げされてしまったようです。しかしこのまま埋もれさせるにはあまりにも美味しい惜しい書き込みだったので今回はちょっと取り上げてみましょう(笑)
ペットが嫌いな人と、飼いたい人が感じる匂いには、大きな隔たりが あるわけで、どうもこのコメントを見る限り、 Zepaさん側にも非があるのではと感じた。 規約に無いからOKだという発想なのでしょうか? 少なくとも飼って無い人が、迷惑をかけるわけではなく、 飼ってる人が迷惑をかける可能性があるだけということを どうしてペット好きの人は考えないのだろう。
※ ということですが この偏見に満ちた書き込みからどのような方なのか ちょっと想像してみたいとおもいます。
文面から察するに さぞペットが嫌いな方なんでしょう。そして 過去にペットの飼い主と臭いに関してトラブルがあったと推察されます。氏が一軒家に住んでいたのかマンション住まいだったのかはわかりませんのでここは強引にマンション住まいだっと仮定します(仮定根拠:ペットのトラブルはマンションが圧倒的に多いから)
いまどきのマンションで普通に(良識の範囲内で)ペットを飼っていて近隣に臭いが漏れるようなことはまずありません。よほど非常識な飼い主だったのでしょうか? それとも氏は常人を超えた嗅覚の持ち主で 良識的な飼い方をしているにもかかわらず臭いが鼻についたのでしょうか? もし後者ならこれはただの言い掛り、ヤクザのインネンと代わらないですね。なのでここは前者だたったと仮定します。
氏の中には良識のある飼い主は存在していません「ペット飼い主=非常識」という観点から論理を推し進める傾向があるようで、私も非常識な飼い主の一味として分類されてしまいました。私がどのくらい気を使い、他に迷惑を掛けないよう配慮しつつ猫を飼っているかは一切お構い無しの独善ぶりです。
>規約に無いからOKだという発想なのでしょうか?
当然そのとおりです。管理規約にペット禁止と謳っていなければペットはOKです。これで問題になるようなら曖昧にしている管理組合に責任があります。ただし どのような飼い方をしてもよいというわけではなく他の住人に迷惑がかかるような禁則事項に抵触しないということが大前提です。っていうかこいう噛み付きをするまえに 自分で調べてみてはどうでしょうか? ”マンション”、”ペット”、”規約” でググると一発なんですけど それすら思いつかない程に頭に血が昇っていたのでしょうかね〜?
>少なくとも飼って無い人が、迷惑をかけるわけではなく、
>飼ってる人が迷惑をかける可能性があるだけということを
>どうしてペット好きの人は考えないのだろう。
やはり「氏の中には良識ある飼い主は存在していない」事が裏付けられるような発言です。「ペット好きの人は考えない」と決め付けていますが これは 非常識なペットの飼い主 であって良識あるペット愛好家は常に考えています。さらに言えば 考えないから非常識なのであってそこにペットの有無は関係ありません。ペット飼っていない非常識な住人よる被害、トラブルも当然あるのです。 氏の中で 非常識な行為とペット飼う行為と問題がきっちり分離されていないようで、過去に経験したトラブルが非常識な住人によるものでたまたまペットを飼っていたという事象からペット愛好家全体が非常識と置き換わっていることに気が付いていないような感じさえ受けます。
このような背景から少ない情報に偏見を補完して 私を非常識な飼い主の一味として分類したのだとすればこれははなはだ迷惑な話です。 かく言う私も 氏の少ない情報からいろいろと想像してみましたが どうです? やっぱり腹が立つでしょう?
「詳しい事情をろくに知りもしないで門外漢が口を挟む」行為は特と慎むべきなのです。
といっても本人が見てないなら伝えようもないか・・・
日本のメディア芸術100選が発表されました。ラインナップをみるとどれも見覚えがあり、なるほどと思うものばかりです(笑)この結果発表に対して、ちょっと気になる評論をみました。
このうちマンガ部門では、第一位が井上雄彦『スラムダンク』、第二位が荒木飛呂彦
『ジョジョの奇妙な冒険』、第三位が鳥山明『ドラゴンボール』であった。この三作
品はどれも人気作ではあるが、一九八〇年代以降のものに限られており、この半世紀
を代表するベストストーリーとは言いたい。この「芸術百選」は端的に言って衆愚的
な人気投票なのである。
研究者、評論家、編集者が選べば、量的にも質的にも重要な作品を全時代にわたって
満遍なく選んだはずだ。マンガは、その出自において大衆芸術であり、今なお大衆芸
術の要素が強いジャンルでありながら、当の大衆自身はその全容も核心もつかんでは
いないのである。私はここに民主主義の「本質的不可能性」を見る。民主主義はその
本質からして実現不可能なのだ。民主主義はその実現を追求する不断の過程である、
などと言われるけれど、不断に努力をしようとしまいと、本質的に不可能なのだ。
見識ある専門家(代議員)をまず選ぶ間接民主主義ならいいようだが、現実の政治を
みれば、本質は変わらないことは明らかだ。とはいうものの、文化は、政治とは異な
り、人民を統治(govern)するわけではない。そこでは専門家の見識は一般人
より確実だ。大衆芸術を衆愚芸術にしないよう、文化庁は一考すべきだろう。
(評論家・呉智英)
この評論には激しく嫌悪感をおぼえます。自分のお気に入りが選ばれなかったからいちゃもん付けているようにしか思えませんね(笑)
一般大衆の判断を衆愚と一蹴し嘆いているかのようですが少数の専門家が下す判断と一般大衆が下す判断どちらが正しいのでしょうか?呉さんは民主主義とダブらせていますが政治の世界ではこの問題が100年以上前に既に議論されていました。
民主主義(衆愚政治)に絶望した一部のインテリ達が社会主義や共産主義のほうが良いのではないか?と全体主義に突き進んで行ったのがつい100年前の事。その結果がどうなったかはいまの世界が表していますね。
『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー著)という本がが最近アメリカでは話題になっているそうです。この本の中では、 ある条件下で大衆が下す判断は 少数の専門家が下す判断よりも正しいとしています。
もしも戦後60年、一部の専門家によって芸術が統制されていたならいまのジャパニメーションやコミックの文化が日本に生まれる事は無かったと思います
ちなみに 同100選のエンターテイメント部門1位は『やわらか戦車』でした(笑)
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